世界初! p型シリコン中の室温スピン輸送を達成

世界初! p型シリコン中の室温スピン輸送を達成

電流を用いない省エネのエレクトロニクス社会へ一歩

2013-2-13

リリース概要

大阪大学大学院基礎工学研究科システム創成専攻電子光科学領域の仕幸英治特任准教授、久保和樹(博士前期課程2年生)および白石誠司教授らは、東北大学金属材料研究所の齊藤英治教授、安藤和也助教と共同で動力学的スピン注入法であるスピンポンピング を用いて、p型シリコン 中の室温スピン輸送を世界で初めて達成しました。この成功によりn型、p型のシリコンに室温でスピン情報を伝播させる基礎技術が確立したことになり、シリコンを用いたスピントロニクス領域の大きな発展が期待できます。

エレクトロニクスにおける情報伝搬にはこれまで電荷電流(電流)が用いられてきましたが、微細化の困難さや発熱などのエネルギーロスの問題が発生していたため、全く新しい発想に基づく新奇情報処理素子の創出が期待されています。スピントロニクスはその有力な候補技術であり、現在シリコンスピントロニクスは大きな関心を集めています。今回「純スピン流」という電流を伴わずスピン角運動量のみが伝播する流れをp型シリコンに生成することで超低消費電力論理素子が創出できる可能性が高まりました。既にn型シリコンにおける室温純スピン流生成及びスピン輸送は、TDK(株)・秋田県産業技術センター・大阪大学(電子光科学領域・白石研究室及び物性物理工学領域・鈴木義茂研究室)チームにより2009年に世界に先駆けて達成されていますが、論理回路作製に必要なもう1つの要素であるp型シリコンにおけるスピン輸送は未達成であったため、その達成が強く希求されていました。本研究の成功はシリコンスピントロニクスにおける大きなマイルストーンの達成であり、シリコンスピントランジスタなどへの応用展開が加速できる重要な成果です。

本研究は文部科学省科学研究費補助金、グローバルCOEプログラム(物質の量子機能解明と未来型機能材料創出)などの助成により行われました。 本研究成果は2013年1月29日付にて米国物理学会論文誌「Physical Review Letters」にて受理され、近日中に公開されます。

研究の背景

シリコンは産業のコメとまで言われる半導体エレクトロニクスを支える基幹材料であり、これまでのエレクトロニクス産業の発展はシリコンCMOSトランジスタ の性能向上なしにはありえませんでした。しかしながらいわゆるムーアの法則 の限界に近づきつつあると言われる現在、従来の電荷制御型のシリコンデバイスではない全く新しい発想に基づくbeyond CMOSと言われる新奇技術が待望されています。スピントロニクスはその有力な候補の1つであり、特にシリコンスピントロニクスは産業親和性の良さやスピンコヒーレンスの良さなどから今非常に注目されている研究開発領域です。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

研究グループはスピントロニクスにおいて現在極めて重要な役割を果たす純スピン流 に着目してシリコンスピントロニクスの研究を続けてきました。純スピン流の利点は、理想的にはエネルギーの散逸がないために究極の省エネルギー情報伝播方法となりうることです( 図1 )。この純スピン流を用いた超低消費情報伝播を半導体産業のコメであるシリコンで達成することができれば、従来のエレクトロニクス産業のインフラ設備がそのまま使える等、産業との親和性も良く、シリコンスピン素子の応用展開に大いに資することができます。論理回路の作製にはn型とp型の半導体素子が通常必要ですが、n型シリコンにおいては上記の産官学共同研究により室温純スピン流輸送が実現していましたが、p型シリコンにおいては未達成のままであり、シリコンスピントロニクスにおける大きなマイルストーンとなっていました。今回、それを達成しました。すなわち、環境親和性と既存の半導体産業のもつインフラとの親和性のよいシリコンにスピン機能を搭載した超低消費電力論理素子実現への重要な一歩を踏み出しました。

特記事項

達成した技術について以下に記述します。今回、研究グループで作製した素子構造と、観測した現象を、 図2 、 図3 に示します。1×10 cm 程度の不純物ドーピングを行ったp型シリコン上にNi-Fe合金薄膜(磁性体)を形成し、強磁性共鳴 を用いたスピンポンピングという動力学的手法によりNi-Fe合金からp型シリコンの内部に純スピン流を生成させました。そして生成された純スピン流を、同一シリコン上でNi-Fe合金から離して形成したパラジウム(Pd)金属薄膜に吸収させ、そのPdにおける逆スピンホール効果 ※7 による起電力として検出することにより、p型シリコン中を純スピン流が輸送されたことを世界で初めて実証しました。今回は1×10 19 cm -3 程度の非常に高いドーピング濃度のp型シリコンを用いた研究成果になりますので、今後実際の半導体論理デバイスに必要な1×10 17 ~1×10 18 cm -3 程度の比較的低いドーピング濃度のp型シリコンでの達成を目指します。また動力学的手法の最適化を図ることにより、より効率的なスピン注入と伝播を目指し、シリコンスピン素子の創出を目指します。

発表論文

“Spin-pump-induced spin transport in p-type Si at room temperature”
(スピンポンピング誘起されたp型シリコン中の室温スピン輸送)
Eiji Shikoh, Kazuya Ando, Kazuki Kubo, Eiji Saitoh, Teruya Shinjo, Masashi Shiraishi
Physical Review Letters(米国物理学会論文誌)

参考図

図1 半導体における情報伝搬技術
上)従来方式である電荷電流によるもの。消費電力Pは+極と-極の間の電圧Vと電流Iとの積で決まります。電流が流れる限り(Iがゼロでない限り)、Pはゼロにはならず、電力の消費は避けられません。
下)純スピン流による方式。純スピン流では電流がほぼゼロ(I ~0)のため、電力消費がほぼゼロになることが期待できます。

図2 作製した素子構造と実験の概要
強磁性共鳴を用いたスピンポンピングによりNi-Fe合金薄膜(磁性体)からp型シリコン(Si)の内部に純スピン流を生成させます。その純スピン流はp型Si中を流れ、Pd金属薄膜に吸収されます。Pdは強いスピン軌道相互作用 を有しており、逆スピンホール効果の期待できる材料ですので、吸収された純スピン流が電荷電流へと変換されることが予想できます。すなわち、Ni-Fe合金薄膜の強磁性共鳴下において、Pd薄膜から起電力(電圧)を観測することができれば、p型Si中の純スピン流輸送を達成できたことになります。

図3 観測した起電力特性
横軸はNi-Fe合金薄膜の強磁性共鳴磁場HFMRに対する外部磁場、縦軸はPdにおける出力電圧を表します。測定温度は室温です。素子への外部印加磁場方向を変えることにより、逆スピンホール効果に起因する起電力の発生を簡単に制御できます。赤線と黒線では素子への印加磁場方向が互いに異なり、それぞれPd薄膜における逆スピンホール効果発現の有無に相当します。つまり、赤線では、電流を伴わない情報伝搬に成功していることを表します。

参考URL

用語説明

スピンポンピング

強磁性体に強磁性共鳴等を用いて外部から力を与えることにより、強磁性体からスピンを(スピン角運動量を)外部に強制的に流し出す現象をスピンポンピングと呼びます。強磁性体に非磁性体を接合する場合、スピンポンピングにより非磁性体中に純スピン流を生成できます。強磁性体に外部から力を与える主な方法として、強磁性共鳴を用いる方法が一般的でして、例えば、電子スピン共鳴装置による高周波磁場を印加する方法や、伝送線を用いてパルス磁場を強磁性体に印加する方法があります。

p型シリコン

p型シリコン(Si)のpとはpositiveの頭文字です。すなわち、p型Siは正孔(概念としての正電荷)を主に輸送するSiのことです。対義語はn型Si、すなわち、negativeのSiで、電子(負電荷)を主に輸送するシリコンです。p型Siは半導体材料であるSiに不純物としてホウ素などの3価元素を微量加えることによって作られます。

純スピン流

電子の2つの自由度である電荷自由度とスピン自由度のうち、従来エレクトロニクスでは、電荷の自由度(プラスか、マイナスか)のみを制御し、産業応用してきました。一方、スピン自由度のみ(スピン角運動量のみ)を制御することができれば、実質的に電流は流れないため、例えば情報伝搬において、究極の省エネにつながります。このスピン自由度のみの流れのことを「純スピン流」と呼びます。電子の電荷とスピンの2つの自由度を制御するスピントロニクス分野において、様々な材料におけるこの純スピン流の自在な生成と制御は、分野のホットトピックです。

CMOSトランジスタ

CMOS(シーモス)はComplementary Metal Oxide Semiconductorの略で、日本語では相補型金属酸化膜半導体のことです。これはMOS-FET(金属酸化膜半導体電界効果トランジスタ)を相補形に配置した情報処理構造を意味し、CMOSトランジスタとはCMOS構造を組み合わせた情報処理素子を指します。CMOSトランジスタは他のトランジスタに比べると消費電力をかなり抑えられるため、半導体素子において標準的に用いられています。一方で近年、半導体への更なる微細化の要求により、リーク電流の問題が発生し、結果的に電力消費が増えています。

ムーアの法則

1965年、インテル社の創設者の一人Gordon Moore氏が提唱した、「半導体における性能の向上は18~24ヶ月で倍増する」という経験に基づく法則を指します。この法則によれば、半導体の集積化は(例えば単位面積当たりの情報記憶量は)指数関数的に向上していきます。この法則は現在でも成立しているとされ、今後の半導体性能の向上予測によく用いられています。しかしながらムーアの法則は半導体の微細加工技術の進展が必要であり、現在、その微細化が物理的な限界に達しつつあるため、既存技術だけではムーアの法則から外れてくることになります。

強磁性共鳴

強磁性体中では全磁気モーメント(スピン)が静磁場の軸のまわりを歳差運動しています。強磁性体に対し、その外部から高周波磁場を静磁場に垂直に印加すると、その高周波磁場の周波数が歳差運動の周波数と等しいときに、高周波磁場のもつエネルギーが強く吸収されます。この状態を強磁性共鳴と呼びます。

逆スピンホール効果

物質中のスピン流を電流に変換する効果を指します。変換原理は対象物質のスピン軌道相互作用(後述)です。逆スピンホール効果による変換電流は、一般に物質の抵抗を介して起電力(電圧)として検出されます。通常はスピン軌道相互作用の大きな物質ほど、この逆スピンホール効果が大きくなります。尚、「逆」とは、スピンホール効果(電流をスピン流に変換する効果)の逆過程を意味します。

スピン軌道相互作用

電子のスピンと電子軌道それぞれの角運動量間の相互作用を指します。一般的傾向として原子番号の大きな元素のほうが強いスピン軌道相互作用を有します。例えば金属ならば、パラジウム(Pd)や白金(Pt)、金(Au)ではこの相互作用が大きく、また半導体ならばGaAs等はスピン軌道相互作用の比較的大きな材料として知られています。