2018年5月8日

研究者にとっての「文学」

「夫婦善哉」の作者として有名な織田作之助は、新聞の連載小説で活躍した作家。「後に出た単行本の方が洗練されているのですが、紙面を活かし、同じ紙面に掲載された他の記事などの時事ネタを盛り込んだ新聞の連載小説の『ドロっとした』雰囲気にも、何とも言えない魅力があります」。このような魅力は、単行本を読んでも伝わらないため、時事が掲載されている新聞から読み解く必要がある。
そこで斎藤准教授は、国会図書館やデータベースなどで、掲載可能性のある新聞や雑誌を探す。「この新聞にこんな記載があるので、この時期のこの雑誌に掲載されているのではないか、と当たりをつけて探すんです。3時間かけて国会図書館へ調べに行っても何も資料が出てこないこともあります。でもそれは『何もないということがわかった』ということ」。ひとつひとつ事実を丁寧にかき集め、組み合わせて、当時の時代背景を手掛かりに小説を解釈するのだ。

思いがけない資料との出会いも

織田の小説は地方紙での連載が多かった。当時の紙面は戦争で焼失したり貴重な資源として再利用され残っていないことも多く、研究は一苦労だという。
しかし、新聞紙面をつぶさに眺めているうちに思わぬ出会いもある。2015年、織田の地方新聞の連載を探している間に、敗戦から2年後の1947年の地方新聞から小林秀雄の全集未収録エッセイ「政治家」を発見した。当時の筆者の考えを知る貴重な資料として、メディアにも取り上げられ注目された。

従来とは異なった太宰像を提起

太宰治作品の研究では、時代背景と作品で使用されている表現の分析から、一般に定着している「苦悩の作家像」以外の面を追求している。有名な「斜陽」は貴族の没落、滅びを描いた小説だと考えられてきた。しかし「夕方の光のイメージで描かれる弟や母とは異なり、主人公のかず子は、朝の光に照らし出されるイメージで表現されています。同時代の人たちは、強く生きていく決心をするかず子に励まされたのではないでしょうか」と語る。

文学研究を含む、人文学の存在意義

「織田作之助や太宰治の小説は、戦時下にも発表されていました。戦争を賛美する作品でないものが、当時の人々に楽しまれていたことは無視できません。特に織田作之助に関しては、『1945年6月、連載決定』という地方新聞の記載が残されています。実際には翌7月に新聞社が空襲を受け、連載はなくなりましたが、『こういう時代だからこそ、新聞に掲載したい』という思いがあったのでしょう。紙、インクの不足から2面しかなかった当時の新聞に、載せる内容は厳選されたはず。人々に文学や文芸を求める気持ちがあり、単なる娯楽以上のニーズがあったことは重要です」
現代にも、東日本大震災の被災地に少年ジャンプを届けたボランティアがいる。「お腹が減っていて寒くても、『ワンピース』を読みたいという読者がいるのです。そういうフィクションの力を侮ってはいけません」。戦争直後にも、食事を削って言葉を求める大勢の人々がいた。彼らはなぜそうしたのか、と考えることは、今の社会にもつながる知的な営みだ。

●斎藤理生(さいとう まさお)
2004年大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。群馬大学教育学部講師、同准教授を経て、14年4月より現職。著作は『太宰治の小説の<笑い>』(双文社出版)など。

(2018年2月取材)

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