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障害のある子と親のQOLを高めたい

歯科医療現場で、臨床哲学、臨床心理学ー若手の異分野融合が加速

歯学部附属病院・助教・村上旬平/文学研究科・助教・稲原美苗/保健センター・助教・竹中菜苗

大阪大学は今年度、新たな研究の種を生み出すべく、学内の異なる分野の若手研究者3名で行う共同研究を支援する「未来知創造プログラム」を開始した。そのうちの一つが、今回紹介する「歯科医療現場における障害のある子どもとその親への包括的支援プログラムの開発」だ。障害者歯科学、臨床哲学、臨床心理学という文理3領域からのアプローチにより、障害のある患者とその親への理解を深め、両者のQOLを高めるサポートにつなげたいという歯学部附属病院・村上旬平助教らに取り組みを聞いた。

障害のある子と親のQOLを高めたい

互いの研究を生かし合う

発端は、一通のメールだった。

差出人は、本学保健センター学生相談室に今春着任したばかりの竹中菜苗助教(臨床心理学)、宛先は文学研究科の稲原美苗助教(臨床哲学)。竹中助教は、未来知創造プログラムの公募を「学内で他の研究者と知り合うチャンス」ととらえ、ホームページで自分と関心の近い研究者を探した。そして、障害者と健常者の共生を研究テーマの一つとする稲原助教に「お互いの専門を生かして一緒にできる研究があれば…」とメールを送った。さらに稲原助教が、自身が講演する予定だった障害者歯科領域なら可能性があるのではと、この分野の歯学部附属病院医師、村上旬平助教(障害者歯科学)に呼びかけ、異分野の研究者3人が顔を合わせた。話すうちに、それぞれの研究課題を突き合わせ融合させる形で何かができそうだとひらめくものがあった。

「生きづらさ」抱える親たち

村上助教は、診療でさまざまな障害のある子どもと親に接する中で多くの母親が悩みや「生きづらさ」を抱えていると実感。「親が元気じゃないと子どもも元気になれない。もっと親御さんの支援をできないか」と道を探っていただけに、臨床哲学、臨床心理学という文系の専門家から声を掛けられたことは「渡りに船でした」。

一方、稲原助教は自身も出生時の保育器の低酸素状態による軽度の脳性まひがある。幼い頃、歯科医院の診察台で強い恐怖感を覚えた体験を持っている。しかし、留学先のオーストラリアでは安心して治療を受けた経験なども踏まえ、今年6月には関西障害者歯科臨床研究会で講演。診療現場の人たちに向け「患者と信頼関係を結んでほしい」とアピールした。

寄り添い、観察し、理解する

患者と医療関係者の相互理解が不可欠であるという点で、3人の認識は一致する。「他者の語りに耳を傾け、その行為に寄り添い、丁寧に観察し、それを一人一人が生きている現実とつなげて理解する」。そうした臨床哲学と臨床心理学の手法を用いて対象者へのアプローチを図り、診療現場に生かすプログラムの構想がまとまっていった。

具体的には、障害者歯科外来の患者である子どもの親を対象に、稲原助教による「哲学カフェ」スタイルのグループ対話と、竹中助教の一対一の心理療法を継続的に行う。稲原助教は診療にも立ち会い、医師と共に現場の観察と記述を進める。3人は情報を共有し分析することで、結果を診療現場に還元する。また、学外の研究協力者として、障害のある子どもの歯科診療に詳しい大阪歯科大学小児歯科学講座の有田憲司主任教授にも参加をお願いしている。

アンケート、講演会なども

年内は、親へのアンケートで哲学対話や心理療法へのニーズを探り、5人ほどの調査協力者を決定。2015年1月から実践に入る。定められた研究期間は3年間。16年7月をめどに、総合的な分析に入る予定だ。調査と並行して、より重層的な支援プログラムを構築する目的で海外視察も計画。イギリスにある自閉症児のための学校内の歯科治療専用ルーム、ベルギーの大学の障害者歯科センター等の訪問を予定している。併せて、障害を持つ子どもの親への心理的支援の必要性について、専門の講師による講演会も開催する。

他の医療分野にも広がれば

心理療法を担当する竹中助教は「実際に保護者の方々からどこまで話を聞けるかなど、不安材料も多い。細やかな対応や観察が必要であり、覚悟も勉強も求められると思います」と話し、「同じ場所で体も心もケアするという視点を示す意味でも、一つの挑戦になれば」と研究を位置付ける。また稲原助教は「哲学とは机上のものではなく、私たちが当たり前だと思っていることをいったん離れて、それは何? なぜ? という問いを投げかけることから始めます。答えはありません。心を少しだけ解き放ち、人の語りに耳を傾け自分自身のことを語る。親御さんたちが、子どもとの関係、自分のあり方、社会への要望などを一緒に考えるほんのわずかのきっかけになればうれしい」と話す。

村上助教は「今はまだ始まったばかりで手探り状態。各自のやることは専門分野なのでそう難しくはないとしても、それぞれが得たものをどう臨床の場に還元していくかに知恵を絞らなければならないでしょう。ニーズはあると実感していますし、悪い結果にはならないと思う。研究により確立できたものが障害者歯科の質的向上だけでなく他の医療分野に波及し、全国へ、さらには世界へと広げられればうれしい」と語った。

未来知創造プログラム

「未来知創造プログラム」は、「学内共同研究の仕組みつくり」を支援することで、大阪大学の将来を支える多様な研究を育み、創造性に富んだ、チャレンジングで独創的なアイデアと未来を拓く人材を輩出することを目的に、2014年度から実施。初年度は、58件の申請があり、12件の研究課題を選定した。


●村上旬平(むらかみ じゅんぺい)

1998年大阪大学歯学部卒業、2002年同歯学研究科修了。同附属病院医員、助手を経て07年4月から助教。08年7月から障害者歯科治療部・外来医長。ダウン症候群、視覚障害者、聴覚障害者、自閉症スペクトラム症者の歯科医療受診支援などに関する研究がある。14年大阪大学総長奨励賞受賞。


●稲原美苗(いなはら みなえ)

1994年オーストラリア国立ニューカッスル大学文学部社会学科卒業。同大大学院を経て英国国立ハル大学哲学研究科博士課程修了。東京大学総合文化研究科・教養学部附属「共生のための国際哲学研究センター(UTCP)」上廣特任研究員を経て2013年4月から現職。専門は身体論、フェミニスト理論、現象学、障害の哲学。14年大阪大学総長奨励賞受賞。


●竹中菜苗(たけなか ななえ)

2002年京都大学教育学部卒業。同大学教育学研究科修士課程を経て07年博士後期課程研究指導認定退学。07年から10年まで同研究科JSPS助教。博士(教育学)、臨床心理士。10年から14年3月までドイツ・ベルリンでユング心理学を学び、14年4月から現職。研究テーマはユング心理学、心理療法。


(本記事の内容は、2014年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)