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「よりよく生きる」 全人的な統合医療

補完医療・代替医療や環境工学、ロボット工学なども集約

医学系研究科・教授・伊藤壽記

生体機能補完医学寄附講座の伊藤壽記教授は、 現在の医療活動にかわる予防医療・補完医療・代替医療を促進している。 最近では補完代替医療[Complementary and Alternative Medicine : CAM]に とどまらず近代西洋医学にCAMを有機的に融合させ全人的にアプローチする、 エビデンスに基づく統合医療[evidence-based Integrative Medicine : eBIM]の 推進と、その基盤作りに向けた研究に力を注いでいる。 現状や将来像を語ってもらった。

「よりよく生きる」 全人的な統合医療

機能回復で医療終了ではない

私のもともとの専門は、すい臓・すい島移植です。すい臓のβ細胞の機能が廃絶した重症の1型糖尿病(インスリン依存型糖尿病)患者でも、移植によって機能を回復し、インスリン注射から解放されます。糖尿病による腎症も、腎臓移植によって人工透析から脱することができます。

こうした治療ができるようになったのは、近代西洋医学の成果です。しかし、臓器の機能が回復すれば、そこで現行の医療は終了します。ところが、患者には神経障害や細小血管の血行障害などの合併症はすぐには回復せず、痛みやしびれや起立性低血圧などの苦痛が続きます。こういった人々の生活の質(QOL)を向上させ、また生活習慣を改善し予防を進めたいと考えたのが補完代替医療への出発点です。

鍼灸師なども含めたチーム医療

抗生薬の発見からわずか80数年、近代西洋医学は大きく発展しました。その研究はマクロからミクロへと細分化され高度化しています 。 その反面 、 医療を受ける患者の側からは分かりにくいものになっています。患者は臓器や組織、細胞をどうかしてほしいわけではなく、自分の身に起きた苦痛や不具合を改善したいのです。医療関係者も日々こうした矛盾を感じつつも、有効な手だてを打てなかったことが「医療崩壊」の一因としてあげられるかもしれません。

そこで、「人がよりよく生きる」という医療の原点にもどって全人医療を実現するには何が必要かと考えました。そして、近代西洋医療だけでなく数千年の歴史をもつ東洋医療や伝統療法なども取り入れ、組み合わせた統合医療に注目しました。「疾病」にではなく人である患者個々人に目を向け、各種の治療や療法の利点を生かした最適な医療を探し出して適用するオーダーメイドの全人的医療、すなわち統合医療を目指したわけです。この実現には、医師、看護師のみならず、ソーシャルワーカーや臨床心理士、また鍼灸師などの様々な医療従事者の参画も含んで、ディレクターの配下で大きな枠組みをもったチーム医療が求められます。また、それらの体制を支える社会経済的な仕組みを整えることも必要です。

災害と統合医療

東日本大震災では、これまでの災害医療とは異なる顕著な事柄がありました。外傷はなくても大きな痛手をうけた被災者(その多くは慢性疾患を有する高齢者)が多数生じたのです。インフラが復旧し、薬の流通が再開しても、高齢者などに薬が効かないという現象が見られました。自律神経が極度に緊張しているため、薬剤を処方してもそれが作用しないのです。そこで、「心と体のケア」として、鍼灸やアロマ(精油マッサージ)やヨーガを取り入れたところ、緊張がとけて薬が効きだしたというケースが多数みられ、統合医療が力を発揮しました。

JR福知山線事故の被害者の心的外傷後ストレス障害(PTSD)でも、統合医療による新しい知見が得られました。事故の外傷は治癒したにもかかわらず、心理的なものだけでなく季節によって身体的な痛みが現れるといった後遺障害に悩み続ける被害者が残されています。そこで患者会の要請にこたえて、統合医療的アプローチによる、第一次ならびに第二次の臨床試験として科学的な検討を進めました。

精神科の医師、臨床心理士とともに、第一次研究では鍼やアロママッサージを施したところ、それらの手法が安全に施行できることを示し、さらには心の不安を軽減し、うつ状態を改善できることなどが確認されました。第二次研究では、意識下に隠れた抑制を解きほぐす手法としてさらにヨーガを取り入れました。統合医療は患者ごとにオーダーメイドの治療を進めるため、従来のようなプラセボ(偽薬)を使った画一的な比較対照試験などには馴染まないことが少なくありません。第三次研究では、脳情報通信融合研究センターの協力でfMRIなどの評価を試み、その効果について、客観的な証左をとらえるべく、研究デザインを検討しています。

多種・多用な医療へデータ収集

メタボリックシンドロームが糖尿病・高血圧・高脂血症の要因になるとして注目されていますが、がんの発生リスクも高めるという報告が近年なされています。リンパ節の切除を系統的に行う、がん手術の日本の水準は高く、大腸がん手術後の5年生存率は7割を超え、米国の5割程度をはるかに上回ります。ところが、患者の満足度ではそれが逆転してしまうのです。その理由は、周辺医療、ケアの体制に違いがあるからです。米国の主たるがんセンターでは、安全性が担保されたさまざまなCAMのプログラムを患者が選択して受けることができますが、日本では患者が主体となって治療方針を選択できることはほとんどありません。

それは医師の怠慢ではありません。たとえ患者が「サプリを飲みたい」などと訴えても、日本の医師は困惑するばかりです。なぜなら、日本では補完・代替医療について、信頼に値するデータがほとんどないからです。

有効性・安全性の検証本格化

厚生労働省による「統合医療」のあり方に関する検討会でも議論されましたが、漢方や鍼灸、サプリメント療法など多種・多様なCAMが存在します。しかし、それがある患者や疾病に推奨できるのか否かといった有効性どころか、副作用や相互作用などについての安全性すらも、ほとんど担保されていないのです。厚生労働省では、今後数年をかけて、これらのデータを収集し取りまとめて、エビデンスに基づく統合医療として正しい情報を広く国民に発信していくことが決められました。

統合医療が目指すもの

わたしたちの講座は「生体機能補完医学」として、近代西洋医療だけでなく補完医療・代替医療と呼ばれる様々な療法や環境、ロボット工学などの先端的な知見も集学的に取り入れ、現代医療を全人的なものへと編成し直す統合医療を目指しています。わが国の平均寿命は、男性79・9歳、女性86・5歳(WHO2012年)にまでなっています。しかし、自立して生活が営める健康寿命は男性70・4歳、女性73・6歳(厚労省2010年)と、約10年もの差があります。この差を縮めて健康で快適な人生を過ごせることが、私たちの願いです。

統合医療は、がんも含めた生活習慣病の克服にも大きな力を発揮します。予防、重症化防止、再発防止の医学が進展すれば、生活の質を飛躍的に向上できます。医療・介護費の軽減にもつながるでしょう。そうした大きな可能性ある療法に科学の光をあて、患者一人一人に合った全人医療として統合医療を確立していきたいと思います。


(本記事の内容は、2013年9月大阪大学NewsLetterに掲載されたものです)