ゼロエネルギーで運動する磁極粒子の回路

ゼロエネルギーで運動する磁極粒子の回路

AIの超低消費電力化に向けた基盤技術の実現

2020-8-21自然科学系

研究成果のポイント

・外部からエネルギーを与えなくても室温における熱揺らぎで自動的に動く磁極が作る粒子の回路を実装することに成功した。
・この技術を用いて微小なエネルギーで動作する計算器を作製すると、当該計算器を原動力とするAIIoTの消費電力の低減化実現を期待することができる。

概要

大阪大学大学院基礎工学研究科の大学院生地引勇磨さん(当時博士前期課程)、後藤穣助教、田村英一特任教授(現京都大学)、Jaehun Cho特任研究員(現 Daegu Gyeongbuk Institute of Science and Technology (DGIST))、三木颯馬さん(博士前期課程)、田中裕士さん(博士前期課程)、野村光講師、鈴木義茂教授は、大阪大学ULVAC協働研究所の石川諒研究員とUniversité Grenoble AlpesのTitiksha Srivastava さん(当時博士後期課程学生)、Willy Limさん(当時博士前期課程学生)、Stephane Auffret研究員、Claire Baraduc研究員、Helene Bea准教授らと共同で、外部からエネルギーを与えなくても室温で自動的に動く磁極が作る粒子の回路を実装することに成功しました。

Society5.0では必要な時に必要な情報がAIなどを介して提供されることが求められており、その実現のためにAIに関わるエネルギー消費を大幅に下げる必要があります。そのような課題を解決するために、本研究では外部からエネルギーを与えなくても動き回る磁極が作る粒子を作製し、それを伝搬させる回路を実装しました。この技術は将来的にAIハードウエアの低消費電力化につながると期待されます。

本研究成果は、2020年8月24日発行の米国科学雑誌「Applied Physics Letters」で公開されました。

背景と経緯

近年のIoT やAI の急速な発展に伴い、情報通信機器の低消費電力化が急務となっています。このような課題を解決するためには、細胞の生命活動のように小さなエネルギーで動作する計算器が必要です。細胞やその中の分子は室温における熱揺らぎ を利用することで、非常に小さなエネルギーで動きます。この熱揺らぎによって、微粒子は外部からエネルギーを与えなくてもランダムに運動するブラウン運動 を引き起こすことが知られています。このように、ブラウン運動を用いて動作する計算器をブラウニアン計算器 と呼び、これは究極の低消費電力技術実現への鍵となることが期待されています。ブラウン運動は液体中の微粒子に見られる現象ですが、スキルミオン を用いると室温の固体素子中でもブラウン運動が発生することが知られていました。スキルミオンとは磁性薄膜において特定の領域だけ磁極が逆の方向を向いた (図1) に示すような粒子です。ブラウン運動するスキルミオンを利用した回路が実装できれば、超低消費電力化への基盤技術となります。

図1 スキルミオンの概念図。矢印は磁性薄膜の磁極の対を表しており、色は磁極の対の向きを表しています。青は磁性薄膜に対して垂直上向き方向にN極、赤は垂直下向き方向にN極が向きます。このような磁極の構造が、粒子のように振る舞います。

研究の内容

本研究では磁性薄膜においてブラウン運動するスキルミオンの回路を実装することに成功しました。 (図2) は磁性薄膜を削り出して作製した配線です。黒い点はスキルミオンを示します。同様の方法で、 (図3) のような分岐路も作成しました。黄色い線はブラウン運動するスキルミオンの軌跡を表します。このように、外部からエネルギーを与えなくても、スキルミオンが配線中や分岐路において運動する様子が確認できました。

図2 磁性薄膜を削り出して作製した配線の磁気光学顕微鏡写真とその断面の概略図。磁性薄膜上にある黒い模様は磁極の向きが逆になった部分です。膜特性などの制御により点状のスキルミオンを形成することができます。

さらに本研究では、磁性薄膜を削り出さず、代わりにスキルミオン抑制層を成膜することで、スキルミオンのブラウン運動を促進させる回路の実装に成功しました。 (図4) は磁性薄膜にスキルミオン抑制層を追加製膜して作製した分岐路を示します。赤点線で囲まれた領域は追加成膜されており、その部分は磁気特性が変わるため、配線の部分にスキルミオンが閉じ込められます。スキルミオンの軌跡を表す黄色い線は (図3) に示した磁性薄膜を削って作製した分岐路よりも活発にブラウン運動することが分かります。これは、削られた磁性薄膜では磁極間の相互作用が場所によって不均一だったのに対して、磁性薄膜を削らずに作製した分岐路では磁極間の相互作用が一様であるため、スキルミオンのブラウン運動が抑制されなかったことが原因です。

図3 磁性薄膜を削り出して作製した分岐路。黄色い線はブラウン運動するスキルミオンの軌跡を示します。

図4 磁性薄膜を削らずに作製した分岐路。赤点線の配線の外側はスキルミオン抑制層の追加成膜によりスキルミオンが入り込めなくなっています。この構造を用いるとスキルミオンがより活発にブラウン運動する様子が確認できます。

このような技術を応用して、現在ではC-ジョイン と呼ばれるスキルミオンのブラウン運動を利用した論理演算の基本素子の開発を進めています。C-ジョインとは、二つのスキルミオンが素子に入力された時だけ二つのスキルミオンを出力する機能を持つ素子です。 (図5) は、二つ並んだスキルミオンの配線と、スキルミオンを制御するための縦方向に伸びた電極を示します。この素子は電極の下に二つのスキルミオンが同時に来たときにのみスキルミオンを通過させます。このような機能を持つ素子ができると、ブラウニアン計算が可能になります。現在のブラウン運動の制御は電流磁場を用いているため大きな消費電力を要しますが、将来的には電流を伴わず電圧だけでスキルミオンを制御することで、極めて小さなエネルギーでブラウニアン計算が可能になると期待されます。これらの回路の実現はスキルミオンを用いたブラウニアン計算器の基盤技術となります。今後、これらの技術を利用したブラウニアン論理演算素子などの発展、およびそれらを利用した新しい人工知能ハードウエアの実装が期待されます。

図5 ブラウニアン計算を行うための予備実験。横の二本のグレーの線はスキルミオンの通り道。縦の線はスキルミオンを制御する電極。1電極の左側に二つのスキルミオンが同時に到達すると、2電極の操作により右側に通り抜け、もとに戻れなくなります。

今後の展開

今後は、超低消費電力人工知能ハードウエアの実現に向けて、熱的・量子的なスキルミオンの制御法を研究していきます。

特記事項

本研究成果は、2020年8月24日発行の米国科学雑誌「Applied Physics Letters」で公開されました。

論文雑誌名:Applied Physics Letters
論文題目 :"Skyrmion Brownian circuit implemented in continuous ferromagnetic thin film"
「連続強磁性薄膜に実装されたスキルミオンブラウニアン回路」
著者名 :Yuma Jibiki, Minori Goto, Eiiti Tamura, Jaehun Cho, Soma Miki, Ryo Ishikawa, Hikaru Nomura, Titiksha Srivastava, Willy Lim, Stephane Auffret, Claire Baraduc, Helene Bea, and Yoshishige Suzuki
本研究開発は総務省の委託「次世代人工知能技術の研究開発、課題II 脳型演算処理技術の研究開発」を受けて実施したものです。

参考URL

基礎工学研究科 鈴木研究室HP
http://suzukilab.jpn.org/

用語説明

熱揺らぎ

室温では、温度に対応するエネルギーによって分子や磁極はランダムに運動しています。それらが微粒子やスキルミオンと衝突・相互作用することでランダムな力が発生し、微粒子やスキルミオンもランダムに運動します。このような現象のことを熱揺らぎと呼びます。

AI

人工知能(Artificial intelligence)の略です。人間の知的な能力(例えば言語の理解、推論、学習や問題解決など)をコンピュータによって人工的に実現する技術、およびその研究分野のことを意味します。

IoT

Internet of Thingsの略で、さまざまなものにインターネットが接続されて相互に情報交換することで、相互に制御する仕組み(およびそれによる社会の実現)を意味します。

ブラウン運動

小さな粒子が外部からエネルギーを与えなくても熱揺らぎによってランダムに運動する現象を意味します。

ブラウニアン計算器

ブラウン運動を利用することによって、微小なエネルギーで動作する計算器を意味します。

スキルミオン

磁性薄膜において、ある領域だけ磁極が逆の方向を向いた (図1) のような構造を持つ粒子を意味します。

C-ジョイン

スキルミオンがブラウン運動によって二つ同時に素子に入った時だけ二つのスキルミオンを出力する素子を意味します。C-ジョインと分岐路を組み合わせることで半加算器ができます。(文献F. Peper et al. , ACM. J. Emerg. Tech. Com, 9 (1), 3 (2013)を参照)